ブログ:写真と坐禅とマクロビオティック


6年前には何を考えていたのだろう?

小諸にある曹洞宗のお寺、正眼院とのご縁をいただいてもう6年になる。
2013年、正眼院と大変ご縁のある女優の方から正眼院で水墨画と歌と舞を組み合わせたパフォーマンスを企画したいと言う相談があり、自分は音響で協力することになった。それがきっかけとなりこのお寺とご縁を結ぶことになった。

その後、お寺で何か企画をしたいというご住職からのお話があり、2014年の秋から「おそうじの会」と言う企画が始まった。

「おそうじの会」はその名前の通り、お寺のお掃除をする。
このお寺では毎週土曜日に坐禅会を行っている。そこでおそうじの会でも坐禅をする。そしてご住職と女優の吉祥美玲恵さんを交えての講話を聞き、最後はマクロビオティックランチを食べ終了となる。

マクロビオティックランチ

それが6年続いた。

この会には会則もなければ会員といった縛りもない。来る人は拒まず、去る人も追わない。お寺ではあるが宗派や信仰にもとらわれることなく、掃除をし、坐禅をしご住職のお話を聞きお昼を食べ半日を終える。
月に一度ではあるが、丁度良いように思う。厳しい修行と言うこともないし、かといってそれなりに坐禅も身についてきた気がする。

40分の坐禅は、およそ一本のお線香が燃え尽き時間なのだそうだ。坐っているといろいろなことが頭の中に浮かんでくる。何度坐禅をしてもそれは変わらない。どこまで行っても生きているうちはこの世への執着からは離れることができないのだろうと思う。しかしそれも良い。せっかく生きているのだから。

漠然と、努力すればきっと幸せになれると思って頑張っていた。欲を捨てて人のために生きることは人として素晴らしい得を積んでいることだと信じていた。頑張っていない人を見るとダメな人間だと思うことさえあった。そして、いつか自分にも幸運が舞い込んでくると信じていた。

正眼院

しかし、それはとても愚かなことだと気が付いた。

努力する目的は何なのか?欲を持って何で悪いのか?頑張らないと幸せにはなれないのか?普通に暮らしていたら幸運は掴めないのか?特別にならないといけないのか?

今の自分でいてはいけないのか?今の自分ではいけないのか?

努力しているつもりが、ただ自分を否定していたのだ。否定からは進歩はない。つまり存在を肯定しないとその上に何も積み上げることはできない。否定は0だからだ。1という自分を肯定する。1という他人を肯定する。0をいくら集めても0には変わりない。しかし、1であってもそれを集めれば無限に増えていく。それは可能性。この世界は可能性でできている。一人ひとりが意味のある存在であることに気付いた時、可能性は無限だ。努力は努力として必ず結実する。

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